スキップしてメイン コンテンツに移動

日本の紫外線量は増加していますか?


気象庁が2017年5月30日に更新した「紫外線の経年変化」を皆さんご覧になりましたか?日本のUV太陽紫外線の分析や啓発はオーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・カナダ・イギリス・フランス等に比べると残念ながらかなり遅れています。気象庁の公式なUV太陽紫外線観測地点は、「札幌」・「つくば」・「那覇」・「南極昭和基地」の4地点のみです。しかし、それには理由があります。太陽紫外線分析先進国は太陽紫外線の悪影響がかなり早い段階で顕在化しており、日本では太陽紫外線の有害が確認指摘されたのが欧米豪と比べ遅かったことと、観測に使用するUV計測器の統一が成されずバラバラなデータが取得されていたことに起因します。

UV太陽紫外線の国内第一人者である東海大学の佐々木政子名誉教授らの懸命な開発・改良により1990年10月にUV-Bの連続測定が開始され現在に至ります¹。私は現在43歳ですが25年前それ以前は太陽紫外線なんて全く話題にのぼらないどころか、むしろ太陽光を浴びることが健康と言われていたぐらいです。気象庁の太陽紫外線統計がスタートした1990年頃から女性が屋外スポーツ時にサンスクリーン剤での予防を積極的に意識し始めた記憶があります。さて、下記が気象庁の公表内容です²


◯国内の紅斑紫外線量年積算値の経年変化
札幌、つくば、那覇における紅斑紫外線量年積算値の観測開始から2016年までの経年変化を示しています。 ●印は紅斑紫外線量の年積算値を示していますが、○印となっている年は年積算の計算に用いる月平均値の中に1か月の日別観測数が20日未満の月が含まれることを示しています。 また、直線は年積算値の回帰直線であり、統計的に有意な増加傾向を示しています。

『国内3地点(札幌、つくば、那覇)の地表に到達する紫外線量※ここでは紫外線量として紅斑紫外線量の年積算値を用いています)は、1990年代はじめの観測開始以降、いずれも統計的に有意な増加傾向(信頼度水準は、札幌とつくばで99%、那覇で95%)が現れています。 増加率はそれぞれ10年あたり+3.5%、+4.8%、+2.2%でした。増加の特徴として、札幌では、1990年代半ばから2000年代に増加しています。 つくばでは、1990年代に増加がみられ、また2010年以降は紫外線量が多い年が続いています。那覇では、1990年代に増加がみられましたが、2000年代以降は目立った増加はみられなくなりました。
 一方、この期間のオゾン全量は、1990年代半ば以降緩やかに増加しています。それにもかかわらず、 紫外線が増加傾向を示すのは、紫外線を散乱・吸収するエーロゾル(大気中の微粒子)の減少や天候の変化(雲量の減少)などが影響している可能性が考えられます』


◯日最大UVインデックスが8以上の年積算日数の経年変化
札幌、つくば、那覇における日最大UVインデックスが8以上の年積算日数の観測開始から2016年までの経年変化を示しています。 日最大UVインデックスがその月の20%以上欠測となった月が一つ以上あれば、その年の年積算日数を資料不足値としています(図中の○印)。 ただし、過去に日最大UVインデックス8以上が観測されていない月(札幌は1~4月、10~12月、つくばは1~3月、10~12月、那覇は1月、12月)は積算の対象としていません。 また、直線は年積算日数の回帰直線であり、統計的に有意な増加傾向を示しています。

『環境省の「紫外線環境保健マニュアル」では、UVインデックスが8以上の場合、日中の外出を控えるなど特に配慮が必要としています。
国内3地点(札幌、つくば、那覇)では、観測を開始した1990年代初め以降、日最大UVインデックス8以上の日が有意に増加しており(信頼度水準は、つくばで99%、札幌と那覇で95%)、増加率は10年あたり札幌で7日、つくば13日、那覇で8日でした。 日最大UVインデックス8以上の年積算日数の増加傾向の要因は、紅斑紫外線量年積算値と同様、エーロゾル量や天候の変化が影響している可能性が考えられます。』


簡潔に公表内容を咀嚼すると、皆さんが肌で感じている通り「日本に降り注いでいる太陽紫外線量は1990年に統計を開始して以降、間違いなく増加。環境省「紫外線環境保健マニュアル」で日中外出を控えることが推奨されるUV指数11段階の8以上の危険レベルの太陽紫外線曝露が観測された日数も増加。これらの原因はオゾン層破壊進行というよりも地上に届く太陽紫外線を吸収して和らげてくれるエーロゾルや雲量の減少による可能性が高い。」と言うことです。このデータ分析を見て我々が率直に感じることは、気象庁は国土交通省管轄の世界に誇れる素晴らしい気象研究機関ですが、UV太陽紫外線研究・分析に関してのみは、残念ながら取得データ量の少なさに起因するデータ分析の弱さを指摘されてもおかしくない限界を感じます。我々、日盾\HITATE UV Care Lab.は佐々木政子東海大学名誉教授やその先達たちの努力に敬意を払いつつ、その役目を引き継いで刻々と変化している現在の太陽環境を最新テクノロジーQSunを存分に活用し、より高精度で幅広いデータを取得して子供でも理解できるように太陽紫外線状況を可視化公開して国民の皆さまに適切な予防を啓発する役目を担うことを改めて誓います。

Sources:

1. 佐々木政子 編著 - 太陽紫外線と上手につきあう方法 - 丸善出版(2015.6.30)
2. 気象庁「紫外線の経年変化」http://www.data.jma.go.jp/gmd/env/uvhp/diag_cie.html

コメント

このブログの人気の投稿

イルカの皮膚の神秘

皆さんはイルカの皮膚を触ったことがありますか?私はあります。幼少の頃にもありますし、実はつい最近も好奇心と探究心を持って触らせて頂きました。その感触はもちろん人の皮膚とは大違い。魚類のウロコとも違います。見た目がテカテカしてるからツルンツルンしてるのかと言えばそうでも無くザラザラしたような感触も多少あり、これが最適な表現なのかはよく解りませんが、私は「ブニュブニュ」という言葉の響きが一番しっくりくると感じています。バスケットボールの表面に近いと言えば解りやすいでしょうか? そもそも、なぜ私がイルカの皮膚に強い興味を抱き独自に研究をしているかというと、 イルカの皮膚は2時間に1度生まれ変わっている という衝撃な事実を知ったからです。一説ではイルカは人類の次に知能が高いコミュニケーション能力を持っていると言われており、異なる生息海域ごとに方言まであるそうです。バンドウイルカは人間と同じように個体を名前で認識してコミュニケーションしていることなどがよく知られています。 知能が高いが故に人間と同様にストレス発散のために集団いじめを行ったり精神的に追い詰めるような残酷な一面があることもまた知られています¹。そのような精神的陰陽と時速50kmで泳ぐことができたり、最高8mジャンプ出来たり²、脳を半分ずつ眠らせて泳ぎながら寝ることができたり、皮膚が2時間に1度生まれ変わったりすることを考えると実は人類以上の能力を秘めているような気さえしてきます。さて、少し話が逸れましたが本題です。イルカの皮膚はなぜ2時間に1度生まれ変わるのでしょうか?解りますか?結論からいうと 水の抵抗を極限まで減らして早く泳ぐため です³。美容のためではないんですね〜。 水の密度は空気の800倍ほどあると言われています。水泳などで皆さんも経験があると思いますが水中では体に沿って乱流渦が発生して身体の背面に回り身体を引っ張るため前進を妨げる抵抗を感じます。イルカのバスケットボールの表面のような弾力性の皮膚はスポンジのように水分を吸収するヒドロゲルで覆われた表皮、真皮、脂皮の三層から構成されておりクッションのように乱流渦の抵抗を防ぐ(水圧を吸収する)のです。最近の研究では、 はがれ落ちる皮のしわの突起の部分がイルカの皮膚の表面にできる乱流渦を抑制して抵抗を抑えている とも考えられています⁴。 イ

日焼けサロン(日焼けマシン)は危険ですか?

「夏の輝き」「冬に向けた深み」を出すためにあなたが「顔」や「腕」など身体を黒くしたい衝動に駆られた時、日焼けサロンは一見良い選択肢のように思えるかもしれません。日除けマシンは、国際がん研究機関(IARC - 世界保険機関(WHO)の外部組織)が日焼けマシンをグループ2A(ヒトに対する発がん性がおそらくある化学物質、混合物、環境)ランクから、一番危険なグループ1(ヒトに対する発がん性が認められる化学物質、混合物、環境)へランクを引き上げるまでの2000年代後半までは比較的普及していました。日焼けマシンで身体を人工的に焼く行為に発がん性が認められて以降、我々の大半が日焼けサロンを避けるようになりましたが、あなたが出張や旅行で別の都市に移動すると日焼けサロン店に遭遇する可能性があります。日焼けサロンは非常に危険であるにも関わらず何故ビジネスモデルが成り立っているのでしょうか? 法律的に合法なんでしょうか? まず、我々は日焼けマシンと太陽の比較を理解することが重要です。太陽は、我々が住む地上に2種類のUV太陽紫外線を放出しています。UV-A(生活紫外線)は、我々の皮膚[表皮→真皮→脂肪層(皮下組織)]の真皮まで浸透して色素沈着(サンタン)、シミやシワなどの早期光老化を引き起こします。UV-B(レジャー紫外線)は我々の皮膚[表皮→真皮→脂肪層(皮下組織)]の表皮の細胞核に強いダメージを与えて日焼け(サンバーン)、色素沈着(サンタン)、浮腫などの炎症、皮剥けなどの原因となります。そして、 日焼けマシンは主にUV-Aを人工的に放射 します¹。 利用者の中には日焼けマシンで ビタミンD 合成が出来ると誤解している人達もいます。 ビタミンD合成を担う のはUV-Bに曝露する必要があります。 日焼けマシンは主に人工UV-Aを放射するので決してビタミンDの供給源ではありません ¹。 多くの日焼けサロン店は、日焼けマシンは日焼け予防を目的にしたベースタン(一度日焼けをすれば太陽紫外線の害から避けられるという間違った日焼け)を得るために効果的だと主張しています。ベースタンで多少の保護(SPF4程度と言われています)はありますが、QSunチームがこれまで何度も何度もお伝えしているように 「日焼けした肌は傷ついた皮膚」 です。UV照射に晒されると皮膚細胞は自己防御メカニズムの

太陽と人類の相反する歴史とQSunが切り開く共存という未来

人類が古代から太陽に対し崇拝と忌避を繰り返してきた歴史があることを皆さんも何となくご存知かもしれません。この相反する歴史は大きく7つに区分されます。ミステリー好きであれば古代ローマ・エジプト・マヤ・アステカ文明と聞くと太陽神信仰崇拝の生贄儀礼などがすぐに頭に思い浮かぶと思います。この 「1区分」 の時代は太陽はその恵みにより生命と食物を育み病気を治し災害を遠ざける創造神とも絶対神ともいえる特別な存在で生命維持装置の役割を担っていました。 第一次太陽崇拝時代 です。 そして時は流れ 「2区分」 の1700年〜1800年代、特に西欧で白い肌が富の象徴とされる現象が起きました。 第一次太陽忌避時代 です。この時代に初めて太陽忌避という強い概念が誕生して日光を避ける文化が定着。太陽防御のパラソルや帽子やスカーフなどが登場し日常生活に定着しました。それとともに太陽がもたらす負の部分が少しずつ解明されていきました。 「3区分」 はココ・シャネルが生んだブロンズルックの大流行に伴う 第二次太陽崇拝時代 です。若者を中心に日焼け=健康=グラマーの象徴といったような日焼け礼拝が巻き起こりました。しかし日焼けの害が広く知れ渡ることになると1920年代後半には日焼けの弊害が具体的に認識され日光防御としてサンスクリーン剤が初めてこの世に誕生しました¹。これが 「4区分」 の 第二次太陽忌避時代 です。 そして1930年代〜1940年代は 「5区分」 の 第三次太陽忌避時代 として太陽の悪影響と防御の研究開発が盛んに行われました。この僅か数年後の第二次世界大戦直後1946年以降〜には 「6区分」 として現在に通じる小麦色の肌=健康というシンボル化が形成され太陽崇拝が再燃しました。ビキニスタイルの大流行や現代の日本でも特に男性の意識化に潜在的に強く残っている日焼け・サンタン(黒化)=健康=カッコイイという概念が文化として定着。これが 第三次太陽崇拝時代 です。 1990年代に入りオゾン層破壊と太陽紫外線の具体的な悪影響(皮膚がんや白内障や免疫機能低下など)が全世界の知るところとなりました。今日まで続く 「7区分」 の 第四次太陽忌避時代 です。UVカット機能が搭載された日傘やサングラスや帽子などの予防アイテムが充実し、サンスクリーン剤は著しい進化を遂げました。しかし、この第四