人類が古代から太陽に対し崇拝と忌避を繰り返してきた歴史があることを皆さんも何となくご存知かもしれません。この相反する歴史は大きく7つに区分されます。ミステリー好きであれば古代ローマ・エジプト・マヤ・アステカ文明と聞くと太陽神信仰崇拝の生贄儀礼などがすぐに頭に思い浮かぶと思います。この「1区分」の時代は太陽はその恵みにより生命と食物を育み病気を治し災害を遠ざける創造神とも絶対神ともいえる特別な存在で生命維持装置の役割を担っていました。第一次太陽崇拝時代です。
そして時は流れ「2区分」の1700年〜1800年代、特に西欧で白い肌が富の象徴とされる現象が起きました。第一次太陽忌避時代です。この時代に初めて太陽忌避という強い概念が誕生して日光を避ける文化が定着。太陽防御のパラソルや帽子やスカーフなどが登場し日常生活に定着しました。それとともに太陽がもたらす負の部分が少しずつ解明されていきました。「3区分」はココ・シャネルが生んだブロンズルックの大流行に伴う第二次太陽崇拝時代です。若者を中心に日焼け=健康=グラマーの象徴といったような日焼け礼拝が巻き起こりました。しかし日焼けの害が広く知れ渡ることになると1920年代後半には日焼けの弊害が具体的に認識され日光防御としてサンスクリーン剤が初めてこの世に誕生しました¹。これが「4区分」の第二次太陽忌避時代です。
そして1930年代〜1940年代は「5区分」の第三次太陽忌避時代として太陽の悪影響と防御の研究開発が盛んに行われました。この僅か数年後の第二次世界大戦直後1946年以降〜には「6区分」として現在に通じる小麦色の肌=健康というシンボル化が形成され太陽崇拝が再燃しました。ビキニスタイルの大流行や現代の日本でも特に男性の意識化に潜在的に強く残っている日焼け・サンタン(黒化)=健康=カッコイイという概念が文化として定着。これが第三次太陽崇拝時代です。
1990年代に入りオゾン層破壊と太陽紫外線の具体的な悪影響(皮膚がんや白内障や免疫機能低下など)が全世界の知るところとなりました。今日まで続く「7区分」の第四次太陽忌避時代です。UVカット機能が搭載された日傘やサングラスや帽子などの予防アイテムが充実し、サンスクリーン剤は著しい進化を遂げました。しかし、この第四次太陽忌避時代は具体的な「太陽紫外線予防対効果」の視える化に至らなかったために、特に日本女性に見られる過剰予防、間違った情報や啓発不足による特に日本男性の予防意識の低さが浮き彫りになっています。2017年以降の今後は、一般生活者が手頃な値段で太陽紫外線を可視化して適切な予防が出来るQSunを活用して太陽と共存する社会、つまり第一次太陽共存時代を生きていくことが太陽と人類にとって最適な選択だと我々は考えます。
Sources:
1.佐々木政子 編著 - 太陽紫外線と上手につきあう方法 - 丸善出版(2015.6.30)
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